この記事はブログnobi.comとのクロス投稿です。

あれから10年

10年前、スティーブ・ジョブズが初代iPhoneを発表した。幸運にも私は現地で取材をしていたが、当時、ラスベガスで開催されていたConsumer Electronics Show(CES)に最新携帯電話を取材に行っていた人は歯がゆい思いをしたはずだ。米国のTVニュースのレポーターが伝えた次の言葉がその様子をよく表している。「CES 2007の最大のニュースはこのイベントに出展すらしていない会社からやってきた。」

この日、MACWORLD EXPOの基調講演に登壇したスティーブ・ジョブズは「アップルは電話を再発明する」と宣言した。それから数年後に我々は彼らが電話だけでなくデジタル機器の生態系のすべてを再発明してしまったことに気づかされる。その変化はあまりに大きかった。5年後、アップルが世界で最も価値のある企業になったが、多くの人はそれを当然と受け止めたことだろう。

私はiPhone発表2週間後の2007年1月25日、ascii.jpに「iPhoneは大きな森を生み出す「最初の木」」という3部からなる記事を書いたが、このタイトルはこの10年で起きたことをよく言い表していたと思う。ただ、当時の私には、こんなに大きな森であることは想像もついていなかった。

伝説の発表から10年が経った。今日、我々が当たり前のこととして見過ごしてしまっている多くのことが、この伝説の発表なくしては成り立たなかった。そこでそうしたことのいくつかを私なりの視点でまとめてみたい。
まずはわかりやすい事柄から。

もし、iPhoneが無ければ

もし、iPhoneが無ければ:

・アングリーバードやパズドラ、InstagramやEvernote、LINE、WhatsAppそしてその他200万本近いアプリはこの世に存在していなかった。
・Uber、SnapchatやRoviといった我々が今日よく耳にする企業もこの世に存在していなかった
・人気アプリ周辺のビジネス。例えばアングリーバードの映画やLINEのクリエイターズマーケット、LINEのキャラクターショップなんかも存在しなかった
・今や世界的になりMoMAにも収蔵された絵文字もここまで世界規模に受け入れられることはなかった
・Objective-CやSwiftでのプログラミングがここまで一般的になることもなかった
・AndroidベースのスマートフォンはiPhoneの有無に関わらず登場しただろう。ただし、もう少しかつてのWindows Mobileスマートフォンに似た性格のものになっていただろう(例えばハードウェアキーボードやスタイラスが標準になっていただろう)

リストは、まだまだいくらでも書くことができるし、人によっても違った視点のリストができあがることだろう。

iPhoneは登場するや大成功し、一年後にApp Storeが登場したことで「アプリ経済(App Economy)」が誕生した。これによりiPhoneはアプリを切り替えるだけで色々な用途に使える万能製品へと進化を遂げ、デジタルカメラを筆頭に我々の日常の道具の多くを吸収してしまった。
下の動画は銀座グラフィックギャラリーで開催された「NOSIGNER:かたちと理由」展のインスタレーションを撮影したものだ。この作品でNOSIGNERはiPhoneというデバイスに集約された機器を実際のオブジェクトを並べて示して見せた。

Real life infographic by NOSIGNER

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デジタル・デバイド

iPhoneがもたらした明らかな変化の話はこの辺りで一度、終わりにして、ここからは、もう少し本質的な変化に着目してみたい。

まず1つ目は「デジタルデバイド」。iPhoneが登場する前、テクノロジー業界の人が心配していたのが「デジタルデバイド」の進行だ。Windows 95やiMacが登場してインターネットが普及する中、世の中に深刻な格差が生まれ始めていた。インターネットを持つ者と、持たない者の格差、「デジタルデバイド」だ。持つ者はインターネットでリアルタイムに世界のニュースを獲得し、あらゆる情報を検索し始めていたが、持たない者はどんどん取り残されて行く心配があった。
しかし、iPadが登場した2010年頃に気がついたのだが、その頃にはこの言葉がすっかり死語になってしまっていた。操作も簡単だし、インターネット接続のためのコストが圧倒的に安いスマートデバイスが、状況を一変させたのだ。もちろん、iPhoneが実質0円で提供されていた日本を除けば、この点に関しては、より大きな貢献をしたのは廉価なアンドロイド機器だろう。だが、それまでのパソコンを使ったインターネット接続では、パソコン本体に加え、ルーターやISDN・光ファイバーの敷設工事、さらにはISPとの契約などコスト負担だけでなく、手順的にも煩雑でインターネットを使い始めるまでの敷居が高かった。インターネット所有コストの低さで言えば、やや高価だったiPhoneでも、それまでのパソコンを使ったインターネット所有と比べて安くなっているはずだ。
スマートデバイスの普及以後、インターネット人口は年間、数千万人ペースで増えている。そして、そのほとんどはパソコンではなく、スマートデバイスを使ってインターネットデビューを飾っている。

実は「デジタルデバイド」は無くなったのではなく、逆転したのだという見方もある。これもiPadが登場した2010年頃に気がついたことなのだが、既にパソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていたホワイトカラーの人たちはスマートデバイスの登場による進歩のレベルが小さいのだ。確かに外出先から社内ネットワークの情報を引き出してビジネスの機動性を高める、といった変化は起きたがその程度だ。
これに対して、パソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていなかった層は、その分、大きな跳躍を見せている。例えば一次産業(農林水産業)、観光業、教育、ファッション、医療などはその代表例だろう。これらの業界がスマートフォン、タブレットを手にしたことで起きた変化と比べれば、ホワイトカラーワーカーに起きた変化はパソコンを使った革命の延長線から脱しておらず、「デジタルデバイド」は実は逆転してしまったという印象を与える。

インターネットとの接し方

スマートデバイス、特にiPhoneは我々のインターネットとの接し方も大きく変えた。
iPhone登場前、我々の多くは「検索窓」こそがインターネットの究極の入り口だろうと信じていた。しかし、今日の我々の生活を噛み砕いてみると、アプリこそがインターネットの入り口になっている人が多い。さらに我々は(人によってペースは違うが)徐々に音声操作の時代へと移行を始めている。音声操作はスマートフォンがこれから向かう重要な方向性の1つであり、状況によっては、これまでのタッチ操作よりも圧倒的に効率がいい。例えば「Hey SIri、妻に「今、帰宅中」とメッセージを送って」と言えば済むのと同じことをタッチ操作でやると一体何ステップかかるのか数えてみると、その効率の良さがわかることだろう)。

インターネットとの接し方と言えばもう1つ。ソーシャルメディアとの接し方にも大きな変化が現れた。
実はTwitterの登場はiPhoneとほぼ同時期(Twitterの方が一年ほど早い)。初代iPhoneにはApp Storeがなく他社製アプリも使えなかったので、多くの人がモバツイなどのWebベースのTwitterクライアントを使って利用していた(モバツイは昨年末、約10年の歴史に幕を閉じた)。その前に従来型の多機能携帯電話からツイッターを利用している人もいたが(私もその1人だった)、iPhoneの普及で屋外からのツイートは飛躍的に伸びた。それ以前のツイッターはパソコンを使って屋内から発信されるツイートがほとんどで、写真もついていなかったが、Twitter社の公式アプリが出る頃までにはTwitterのタイムラインはリアルな社会のただ中から投稿されたツイートが溢れ始めていた。2009年のイランの大統領選やアラブの春、ハドソン川の奇跡、東日本大震災といった大きなできごとがある度にスマートフォンとTwitterそしてリアル社会との結びつきは強固なものになっていった。

次の10年に向けて

もちろん、すべての変化がポジティブなものではない。ソーシャルメディアに起きた変化も最初のうちはポジティブな効果が大きかったが、この数年は「揺り戻し」の方が大きくなり始めている。気がつけば我々は「接続過多」の社会の中で徐々に窮屈さの方が増してきていたのだ。
忘れられる権利がしくみとして内包されているSnapchatなどに代表される揮発性メディア(しばらくすると情報が消えるメディア)もそうした反動の事例の1つだろう。
さらに近年では、ソーシャルメディアの議論と現実の乖離も大きな問題になってきている(こと日本に関して言えば、そもそも最初から接近すらしていないという見方もあるが…)。この問題が大きな形で顕在化したのが昨年のBREXITとアメリカ大統領選だろう。

マーシャル・マクルーハンの有名な言葉に「まずは我々が道具を作り、やがて道具が我々を作り始める」というのがある。
我々の10年前のiPhone登場後、劇的に変わった。「揺り戻し」の勢いが増している今こそ我々は一度、立ち止まってこの10年を振り返り、次の10年に向けての軌道修正をかけるべきなのかもしれない。

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