ジョブズ愛用腕時計の復刻
News

故スティーブ・ジョブズの誕生日に合わせるようにアップル社は同社の新本社の名前「Apple Park」を発表した。
そしてその少し前、日本のSEIKOとナノ・ユニバースは1982年に発表されたロングセラーの腕時計「セイコー・シャリオ」の復刻を発表。3月から本数限定での発売となる。

もう35年も前の時計ではあるが、実は若い人たちの目にも触れている可能性が高い。
なぜならウォルター・アイザックソンによる故スティーブ・ジョブズの評伝のハードカバー版の背表紙でジョブズが身につけているのがまさにこの時計だからだ。この時計はジョブズにとってかなりお気に入りだったようでGoogleで「Steve Jobs 1983」、「Steve Jobs 1984」といったキーワードで検索をすると、かなりの確率でこの時計を身につけている写真を見つけることができる。実際にジョブズの人生におけるターニングポイントでもある1984年1月の初代Macintoshの発表会の時に身につけていたのもこの時計だ。

日本版のハードカバーでは少々、写真が小さくなっているので英語版のカバー

この一時代を感じさせる腕時計が昨年、突然、脚光を浴びた。なんとジョブズの所有していた腕時計がオークションで販売されシンプルなクオーツウォッチとしては破格の$42,500(480万円)で落札されたのだ。

今となっては誰もジョブズがどのような経緯で、この腕時計を手に入れたのかはわからない。
ただ、「セイコーシャリオ」は海外で発売されていた時計ではないので、ジョブズは何かでこの時計を知って誰かに買ってきてもらったか(そこまでする可能性は低いだろう)、さもなければ日本を訪問した時に自分で購入したのだろう。
後者の可能性は極めて高い。なぜなら、1982〜3年頃と言えば、ジョブズはMacの開発に関係して日本を頻繁に訪れていた時期だからだ。

ジョブズは当時、日本の工場のオートメーションに大きな興味を示しており、ソニーやキヤノンそしてアルプス電子などを訪れている。アルプス電子では工場見学の後、工場の人たち向けに講演を行い、「第五世代コンピューター」についての質問なども受けたという(その辺りの話はぜひ、私がまとめた追悼ムック「スティ-ブ・ジョブズは何を遺したのか パソコンを生み、進化させ、葬った男」を参照してほしい。このムックの一番最後のページでジョブズの最後の作品として紹介したキャンパスがついに完成と思うと少し感慨深い)。

いずれにせよ1982-3年と言えばジョブズが日本を訪れ、この国への愛を深めていた時期であり、ジョブズが愛していた禅にも通じる日本のシンプリズムや精巧さを感じさせる「セイコーシャリオ」と出会い、自ら購入した可能性はかなり高い。

今回の復刻は、この1982年の時計をかなり正確に甦らしたものだ。例えば「SEIKO」の文字の下に「QUARTZ」の文字が書かれているのも、いかにも1980年代っぽい。最近の時計では「QUARTZ」なのは当たり前すぎてわざわざ刻印しないからだ。ちなみにこのブログを書きながらWIkipediaで調べていたら1980年代はじめというのは、まさにQUARTZ時計が普及し始めた頃のようで、そういう意味では「最新テクノロジー大衆化の先取り」という意味でもジョブズっぽさに通じるところがあるのかもしれない。

今回、セイコーは、より今日のライフスタイルに合うように、ジョブズが身につけていたものより一回り大きいモデルも用意する。そしてナノ・ユニバースは盤面が黒いモデルを用意する。
どちらも限定品でジョブズが身につけていたのと同じモデルの「SCXP051」と一回り大きい「SCXP041」がオリジナルの発売年にあわせて1982本限定での復刻(セイコーの代理店で販売)、そして黒い新色モデルの「SCXP071」と「SCXP061」は300本の超限定品としてナノ・ユニバースのチャンネルから販売される。発売はジョブズの誕生日から少し遅れて3月10日の模様だ。

ジョブズが生きていたら今年で62歳。死の直前まで新本社建設の夢を語っていた彼はどんな感慨でこの年を迎えていたのだろう。

製品情報ページ: SCXP051
https://www.seiko-watch.co.jp/products/scxp051

この記事は個人日本語ブログ nobi_com: http://nobi.com/jp/entry-1247.html
個人英語ブログとのクロスポストです

コミュニケーションという幻想
News

この記事は個人ブログのこちらの記事とのクロスポストです:

今年、東京都美術館で大規模な展覧会が行われるブリューゲルの「バベル」。バベルの塔の住人は神の怒りを買い、話す言葉がバラバラになり意思の疎通ができなくなってしまった、という。

文意は読み手の頭の中でつくられている

四半世紀近く物を書き、情報を発信する仕事を続けた自分がたどり着いたのは「コミュニケーション不信」だった。
少し文章長めくらいで、懇切丁寧に説明しても意図が伝わらないことが多い。
逆に誤解が生じないように簡潔に削ぎ落とした文章でも伝わらない相手には伝わらない。

ソーシャルメディア時代になり、読んだ人の感想を目にする機会が増えたことでつくづく思い知らされたのは、文章の意図と言うのは書き手以上に読み手の頭の中でつくられるという現実だ。

世の中の半分くらいの人は文章を読む時、<a href="http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17522439.2015.1028972?journalCode=rpsy20">頭の中で声に変換して読むそうだ</a>(私もその1人だ)。


ここでは実験として、普段、そうしない人も、次の文章を頭の中で、好みの明るい性格の女優さん(友達でもいい)の声を想像して読んで見てほしい

「元気そうね」

ここで一度、スイッチを切り替えて、下のまったく同じ文章を常にどこかにシニカルな雰囲気の漂う声で読み直してほしい(誰も思い当たらない人は美川憲一さんや泉谷しげるさんあたりを想像してもらうといいかも知れない)。

「元気そうね」

 まったく同じ文字列が、読み手が明るいムードか暗いムード、頭の中でどっちの声で読んでいるかだけで、まったく印象が異なることが多い。
 このように文字によるコミュニケーション成功の鍵の半分以上は、書き手ではなく、読み手の手中にある。

 最近、文字だけでは伝わらない感情などを伝達する日本の携帯電話生まれの「絵文字」がMoMAの収蔵品になったが、何か象徴的なできごとのように感じた。

 だが、絵文字が完全な解決策ではない。
 
 よく知り信頼している相手による文章であれば自然と好意的な頭の声で読み好意的に受け止められるし、逆に疎んでいる相手、不信感を持っている相手が発した文章であれば、どこかネガティブなフィルターをかけて解釈してしまう。それが人間だと思う。

コミュニケーションのノイズ

 難しいのは文字によるコミュニケーションだけではない。

 声を使ったコミュニケーションにも難しさがあることを図で説明したい。

 米国の大学に通うと「Communication 101」という必須科目がある。今でも強く印象に残るのは意思伝達に潜む多くのノイズ/障害がいかに多いかの話だ。英語のWikipediaにも項目があるが「Communication Noise」には主に「心理的ノイズ」、「環境的ノイズ」、「物理的ノイズ」、「セマンティック(意味的な)ノイズ」があると言われている。

 簡単に図示をしてみても誰かの思いが相手に伝わるというのはもしかしたら奇跡なんじゃないかと思うくらいに障壁が多い。

 例え話者が非常に卓越した言語力を持っていたとしても、そもそも1つ1つの語に対して持つ印象「語感」は人によって差異があるものだし、メッセージの発信者と受信者の頭の中で同じイメージの複製が行われることは皆無といってもいいだろう。

 さて、上の図の多くは、文字によるコミュニケーションにも当てはまるものだが、私が特に致命的と思っているのが「そもそもの解釈の失敗」という部分だ。

 一卵性双生児でも、生まれた瞬間から異なる体験の蓄積が待っている。人々の価値観というものが体験の蓄積で醸成されるのだとしたら、価値観は一人一人皆、異なっているはずだ。

 そして価値観が異なれば、同じ物やアイディアに対しても、それをどのアングルから眺め、どう切り取って言語化するかの手法も異なる。
 同様にメッセージの受信者も、万が一、すべての障壁を乗り越えて「卓越した能力で言語化」したメッセージを間違いなく受信したとしても、それを解釈し、頭の中のイメージに落とし込むに当たっては、それまでの経験や知識の影響を大きく受ける。

 ずっと会話が成り立っていると思っていたのに「え!〜〜の話だったの?〜〜の話だと思っていた」というのはよくあるできごとだ。

 TwitterやFacebookなどへの書き込みに対しても、想像もしなかったアングルの脈絡のない返答がきて「この人はどういう思い、どんな認識で、この返信をしてきたのだろう」と悩むことも多い。

Web 2.0で何が変わったのか

 それでも20世紀のマスメディアは、多くの人にその意図を伝え、新しい文化を生み出すことも少なくなかった。これら旧来型マスメディアがうまくいっていた一因は、20世紀メディアの多くが受け手が自分の価値感にあうものを吟味してチューン・イン(選択)をする特性があったからではないか。

 視聴者や読者は、情報に触れる前に、ある程度、ふるい分けが行われていた。

 例えば同じiPodのレビューでも、ファッション誌なら形や色についてしか触れなくても「技術的考察が少ない」と怒る読者もいなかった(そもそも怒るような読者はファッション誌を買っていなかったり、ファッション誌を読む間だけは頭を切り替えていた)。逆に技術雑誌のレビューに見た目や触り心地を無視していると憤慨する人も少なかった。スポーツ新聞の記事を読んで「ふざけている」と憤慨する人もいなければ、特定のイデオロギーに基づいた本を買って自分のイデオロギーと違うと怒る人もあまりいなかったはずだ。

 テレビ番組も、ラジオ番組も、雑誌も、それぞれが世界観であったり共通の価値観を持っていて、門をくぐるという通過儀礼、つまりチャンネルを合わせたり、書店で購入した後は、読者もその価値体型の中で内容に触れていた。

 おそらくこれはインターネットが広まり始めてからもしばらくは同様で、ブログが広まり始めたくらいも同様だったかも知れない。

 変わったのは、「Web 2.0」というバズワードと共に、ソーシャルメディアが普及してからだと思う。

 「Web 2.0」で、それまでの読むだけだった人たちがコメント欄であったり、ソーシャルメディアで情報を発信する側になったことも大きいが、それ以上にソーシャルメディアの普及でコンテンツがバラバラに分解されたことの方が大きいように思う。

 人々は面白いニュースをTwitterやFacebookで発見し、トップページを素通りしていきなり目当ての記事に飛び、そのままトップページや他の記事を見向くこともなくTwitterやFacebookに戻っていく時代が始まった。
 デジタル技術が音楽アルバムを曲単位の販売に分解したように、Webニュースサイトというコンテンツは解体され、その中のコンテント、つまり個別のニュースが直接アクセスの対象になった。

 ソーシャルメディアの投稿やRSSフィードから、1クリック0円とわずか数秒の移動時間で、自分とまったく異なる価値観のコンテントにも首をつっこめてしまう。
 コンテントを価値観の合わない人たちとの接触からかくまっていた、コンテンツとしての世界観や価値観の壁が崩落した。

反論?ヘイト?

 Web 2.0の時代でも成熟し経験を積んだ受け手であれば、自分と合わないコンテントは「自分とは合わない」からと流して相手にすることはなかっただろう。

 一方で、日頃、多様な価値観に触れる機会を持たない人たちは、インターネットの自分にとって都合のいい情報、都合のいい価値観だけを引き寄せやすい特性で原理主義に走り、コンテンツのボーダーを越境して、自分と違う価値観叩きに走り始めている。
 さらにそのうち時間を持て余した人々は、わざわざコンテンツのボーダーを超えて、自分と意見が合わない人を探し出しては、そこにクビを突っ込んで嫌悪感を披露するという行為を繰り返している。

 こうした傾向は、特定の領域を偏愛するフェティッシュな人に多い。洋の東西を問わず、特定の領域を偏愛する人には、自分のその領域にかける情熱をその領域に対する知識の量であったり、自分の見立てで相手を論破することで示す人が多い(米国のコメディドラマ「ビッグバンセオリー」などで描写されている登場人物を見ても米国のオタクな人たちにもそうした性向があることがよくわかる)。

 もっとも、そうした違う価値観のマニアックな人たちが自分たちの見立てで何を語ろうとも、論評はその人の自由だし、「自分とは合わない」見方であればそれを流せば済むことなのだが、中には自分の嫌悪であったり憎悪をわざわざ伝えたくてしょうがなくてソーシャルメディア上などで執拗に、その人の価値観を送り続けてくる人がいる。
 これが前の記事でも書いた「over-connected(接続過多)」時代の弊害の一つだ。

 もちろん、こうした人たちはWeb 2.0時代の前にもいたと思う。
 私はどちらかというと、そうを広げるべく初心者向けに分かりやすい記事を書くことを重視している。一度、アップルの企業文化を、iPod以降でアップルに興味を持った人向けに新書でわかりやすく書いた本を出した。アップル界隈には昔からのマニアックなファンも多いので、そうした人たちが間違って購入してガッカリしないように「まえがき」で「この本は初心者向けで、古くからのアップルファンが新たに得る情報はあまりない」と正直に断りを入れて出版した。しかし、Amazonで真っ先に書かれた書評は「知っている内容ばかりだった」というマニアックなアップルファンのものだった。

 Web 2.0時代の今日、人は自分と価値観の合わないコンテントにもリンクをクリックして簡単にアクセスできれば、さらには自分と価値観の合わない人にも簡単にアクセスして自分のHATEを伝えることができ、中にはそうしたことに異様に執着している人もいる(例えばツイッターでは、自分の嫌いな個人であったり、企業を攻撃するためだけに、相手の名前をアカウント名につけているようなアカウントも存在する。どうせなら人生の時間を自分が好きなことのために費やせばいいのに、毎日毎日、わざわざ嫌いなもののために大量の時間を割く人たちだ)。
 そのおかげで、アナログ時代には目にする必要もなかったhateがより可視化されてしまったのが現在の情報発信の特性だ。
 もちろん、中には言葉遣いが汚いだけで、参考になる意見もあるので、悪いことばかりではない。

 ただ、ソーシャルメディア上では、中身もろくに読まずに、ただいいがかりをつけているだけのような書き込みも多い。
 こんな時代に情報発信をする人は、何を言われても気にしないタフなハートを持つか、ただのいいがかりを言ってくる人たちを「この人たちは何でこんな風になってしまったんだろう」と同情して受け流す度量が必要だ(実際、多様な人と接する機会に恵まれていない可能性が大きい)。
 そもそも言いがかりをつけたいだけの相手は、相手にするとさらに言いがかりの量が増え、しかも、その人のhateを不要に拡散して周りの人たちにも嫌な思いをさせることになるので「無視」がいちばんの得策だ。ただし、中には言葉は汚いが、本質をついた参考になる意見を言う人もいる。両者は、いったいどうしたら見分けられるのか。
 例えばツイッターでのネガティブ意見であれば、1つ有効な手段は、その人のアカウントのページを開き、普段、どんなことをツイートしているのかを、少し遡って見てみることだ。
 無視してもいいような言いがかりの相手は、1日の大半のツイートが誰かへのいいがかりになっている。こう言う人は相手にしてもラチがあかない。
 一方、建設的な意見やポジティブな意見も言っている人であれば、その人の意見は今後の自分の参考になることがある。誠実に応えてみると、そこから得るものがさらに大きいかも知れない。

情報の大量生産、大量消費、大量廃棄

「反論」には慣れで対処できる部分も大きい。
 だが、それ以上に「書いて情報を発信する」行為を無益に感じさせるのは、今日の情報の消費行動のあり方だ。
 ソーシャルメディア全盛になる少し前の2006年に総務省が面白い統計を発表した(2006年はTwitterが米国で誕生したものの、まだ一般にはほとんど知られていなかった年。iPhone登場の前の年)。
 Windows 95が登場し、インターネットが一般に向け普及し始めた1995年から2006年までの11年の間に、我々が1日に触れる情報の量が637倍に増えたと言う。

 残念ながらこの統計はその後、アップデートされていないが、この後にソーシャルメディアが登場したことで、情報量が指数関数的に増えたことは火を見ることよりも明らかだ。

 人間の脳の情報処理能力が劇的に向上するとは思えない。つまり、20世紀、情報に飢え、目的の情報のために図書館に足を運んだり、高いお金を払っていた我々は、今日では常に多くの情報と対峙し短時間で取捨選択を行ない。大量の情報を捨てて、獲得することを決めた情報も短時間で消費してしまっているのではないだろうか。
 自分の実感でも、20世紀には「人の噂も七十五日」と言われたが、現在のソーシTwitter上の噂は持ったとして半日という印象がある(もっとも、メディアによって情報の滞空時間には違いがあり、基本的に情報の投稿頻度に反比例している。Twitterは他のソーシャルメディアと比べても圧倒的に情報の消費が早いリアルタイムメディアだ)。
 情報がこれだけ大量に生産され、廃棄されているにも関わらず、商業メディアも、個人メディアも「PV(ページビュー)」という指標を追うあまり、今なお頻繁な更新に力を注ぎ、情報を増やす方ばかりに力を入れ、インターネット上では複製とノイズばかりが蔓延し、本当に人々の視点を変え、人生に影響を与えるような価値を持つ情報はどんどん少なくなってきている。
 今、こんなインターネットに骨を折って情報を投入することは、渾身の作品を見渡す限りのゴミが積まれたゴミ処理場に投げ入れるようなものだ。

 もちろん、そうは言っても、これまでの積み上げで、その作品を他の方のそれよりは少し目立たせるための道筋を持っている。
 そして、たまにちゃんと価値観を共有できる人からの嬉しい言葉がもらえるからこそ、なんとか頑張る気にもなれる。ただ、賛同してくれていても的外れなものは「コミュニケーションへの失望」を増長させるし、的外れなhateは徒労感を強く感じさせる。
 執筆による情報発信は、かなり割りの合わない仕事にしか思えない。

NEXT INTERNETに期待!?

 1つ希望を感じるのは、今、インターネットが大きな曲がり角を迎えていること。
 「インターネットの次」がそこかしこで話題になり始め、BREXITやトランプのようなネットの民意を反映しない現実の台頭も度々、目の当たりにする。
 インターネットが今のままでは成長を続けられない、と思うほころびがそこかしこに見える。

 「止めどのない情報増産」と「OVER CONNECTED(接続過多)」の限界の先に、どんな「NEXT INTERNET」が誕生するのかは、まだまだ計り知れない。だが、もし、本当にそうしたものが登場するのであれば「どこかに人間そのものを成長させるしくみ」を盛り込んで欲しいと思う。

 今のインターネットはその逆で、資本主義の原則で成長して、人々を安易な方向に流し、世のメディアを総スポーツ新聞化する方向に進化してしまった。

 「NEXT INTERNET」は資本主義の原理原則に一度、目を閉じ、より大きな大義を基盤に作っていく必要があるのではなかろうか…

10周年のiPhone、世界をどう変えたのか
News

この記事はブログnobi.comとのクロス投稿です。

あれから10年

10年前、スティーブ・ジョブズが初代iPhoneを発表した。幸運にも私は現地で取材をしていたが、当時、ラスベガスで開催されていたConsumer Electronics Show(CES)に最新携帯電話を取材に行っていた人は歯がゆい思いをしたはずだ。米国のTVニュースのレポーターが伝えた次の言葉がその様子をよく表している。「CES 2007の最大のニュースはこのイベントに出展すらしていない会社からやってきた。」

この日、MACWORLD EXPOの基調講演に登壇したスティーブ・ジョブズは「アップルは電話を再発明する」と宣言した。それから数年後に我々は彼らが電話だけでなくデジタル機器の生態系のすべてを再発明してしまったことに気づかされる。その変化はあまりに大きかった。5年後、アップルが世界で最も価値のある企業になったが、多くの人はそれを当然と受け止めたことだろう。

私はiPhone発表2週間後の2007年1月25日、ascii.jpに「iPhoneは大きな森を生み出す「最初の木」」という3部からなる記事を書いたが、このタイトルはこの10年で起きたことをよく言い表していたと思う。ただ、当時の私には、こんなに大きな森であることは想像もついていなかった。

伝説の発表から10年が経った。今日、我々が当たり前のこととして見過ごしてしまっている多くのことが、この伝説の発表なくしては成り立たなかった。そこでそうしたことのいくつかを私なりの視点でまとめてみたい。
まずはわかりやすい事柄から。

もし、iPhoneが無ければ

もし、iPhoneが無ければ:

・アングリーバードやパズドラ、InstagramやEvernote、LINE、WhatsAppそしてその他200万本近いアプリはこの世に存在していなかった。
・Uber、SnapchatやRoviといった我々が今日よく耳にする企業もこの世に存在していなかった
・人気アプリ周辺のビジネス。例えばアングリーバードの映画やLINEのクリエイターズマーケット、LINEのキャラクターショップなんかも存在しなかった
・今や世界的になりMoMAにも収蔵された絵文字もここまで世界規模に受け入れられることはなかった
・Objective-CやSwiftでのプログラミングがここまで一般的になることもなかった
・AndroidベースのスマートフォンはiPhoneの有無に関わらず登場しただろう。ただし、もう少しかつてのWindows Mobileスマートフォンに似た性格のものになっていただろう(例えばハードウェアキーボードやスタイラスが標準になっていただろう)

リストは、まだまだいくらでも書くことができるし、人によっても違った視点のリストができあがることだろう。

iPhoneは登場するや大成功し、一年後にApp Storeが登場したことで「アプリ経済(App Economy)」が誕生した。これによりiPhoneはアプリを切り替えるだけで色々な用途に使える万能製品へと進化を遂げ、デジタルカメラを筆頭に我々の日常の道具の多くを吸収してしまった。
下の動画は銀座グラフィックギャラリーで開催された「NOSIGNER:かたちと理由」展のインスタレーションを撮影したものだ。この作品でNOSIGNERはiPhoneというデバイスに集約された機器を実際のオブジェクトを並べて示して見せた。

Real life infographic by NOSIGNER

www.youtube.com

デジタル・デバイド

iPhoneがもたらした明らかな変化の話はこの辺りで一度、終わりにして、ここからは、もう少し本質的な変化に着目してみたい。

まず1つ目は「デジタルデバイド」。iPhoneが登場する前、テクノロジー業界の人が心配していたのが「デジタルデバイド」の進行だ。Windows 95やiMacが登場してインターネットが普及する中、世の中に深刻な格差が生まれ始めていた。インターネットを持つ者と、持たない者の格差、「デジタルデバイド」だ。持つ者はインターネットでリアルタイムに世界のニュースを獲得し、あらゆる情報を検索し始めていたが、持たない者はどんどん取り残されて行く心配があった。
しかし、iPadが登場した2010年頃に気がついたのだが、その頃にはこの言葉がすっかり死語になってしまっていた。操作も簡単だし、インターネット接続のためのコストが圧倒的に安いスマートデバイスが、状況を一変させたのだ。もちろん、iPhoneが実質0円で提供されていた日本を除けば、この点に関しては、より大きな貢献をしたのは廉価なアンドロイド機器だろう。だが、それまでのパソコンを使ったインターネット接続では、パソコン本体に加え、ルーターやISDN・光ファイバーの敷設工事、さらにはISPとの契約などコスト負担だけでなく、手順的にも煩雑でインターネットを使い始めるまでの敷居が高かった。インターネット所有コストの低さで言えば、やや高価だったiPhoneでも、それまでのパソコンを使ったインターネット所有と比べて安くなっているはずだ。
スマートデバイスの普及以後、インターネット人口は年間、数千万人ペースで増えている。そして、そのほとんどはパソコンではなく、スマートデバイスを使ってインターネットデビューを飾っている。

実は「デジタルデバイド」は無くなったのではなく、逆転したのだという見方もある。これもiPadが登場した2010年頃に気がついたことなのだが、既にパソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていたホワイトカラーの人たちはスマートデバイスの登場による進歩のレベルが小さいのだ。確かに外出先から社内ネットワークの情報を引き出してビジネスの機動性を高める、といった変化は起きたがその程度だ。
これに対して、パソコンによるインターネット革命の恩恵を受けていなかった層は、その分、大きな跳躍を見せている。例えば一次産業(農林水産業)、観光業、教育、ファッション、医療などはその代表例だろう。これらの業界がスマートフォン、タブレットを手にしたことで起きた変化と比べれば、ホワイトカラーワーカーに起きた変化はパソコンを使った革命の延長線から脱しておらず、「デジタルデバイド」は実は逆転してしまったという印象を与える。

インターネットとの接し方

スマートデバイス、特にiPhoneは我々のインターネットとの接し方も大きく変えた。
iPhone登場前、我々の多くは「検索窓」こそがインターネットの究極の入り口だろうと信じていた。しかし、今日の我々の生活を噛み砕いてみると、アプリこそがインターネットの入り口になっている人が多い。さらに我々は(人によってペースは違うが)徐々に音声操作の時代へと移行を始めている。音声操作はスマートフォンがこれから向かう重要な方向性の1つであり、状況によっては、これまでのタッチ操作よりも圧倒的に効率がいい。例えば「Hey SIri、妻に「今、帰宅中」とメッセージを送って」と言えば済むのと同じことをタッチ操作でやると一体何ステップかかるのか数えてみると、その効率の良さがわかることだろう)。

インターネットとの接し方と言えばもう1つ。ソーシャルメディアとの接し方にも大きな変化が現れた。
実はTwitterの登場はiPhoneとほぼ同時期(Twitterの方が一年ほど早い)。初代iPhoneにはApp Storeがなく他社製アプリも使えなかったので、多くの人がモバツイなどのWebベースのTwitterクライアントを使って利用していた(モバツイは昨年末、約10年の歴史に幕を閉じた)。その前に従来型の多機能携帯電話からツイッターを利用している人もいたが(私もその1人だった)、iPhoneの普及で屋外からのツイートは飛躍的に伸びた。それ以前のツイッターはパソコンを使って屋内から発信されるツイートがほとんどで、写真もついていなかったが、Twitter社の公式アプリが出る頃までにはTwitterのタイムラインはリアルな社会のただ中から投稿されたツイートが溢れ始めていた。2009年のイランの大統領選やアラブの春、ハドソン川の奇跡、東日本大震災といった大きなできごとがある度にスマートフォンとTwitterそしてリアル社会との結びつきは強固なものになっていった。

次の10年に向けて

もちろん、すべての変化がポジティブなものではない。ソーシャルメディアに起きた変化も最初のうちはポジティブな効果が大きかったが、この数年は「揺り戻し」の方が大きくなり始めている。気がつけば我々は「接続過多」の社会の中で徐々に窮屈さの方が増してきていたのだ。
忘れられる権利がしくみとして内包されているSnapchatなどに代表される揮発性メディア(しばらくすると情報が消えるメディア)もそうした反動の事例の1つだろう。
さらに近年では、ソーシャルメディアの議論と現実の乖離も大きな問題になってきている(こと日本に関して言えば、そもそも最初から接近すらしていないという見方もあるが…)。この問題が大きな形で顕在化したのが昨年のBREXITとアメリカ大統領選だろう。

マーシャル・マクルーハンの有名な言葉に「まずは我々が道具を作り、やがて道具が我々を作り始める」というのがある。
我々の10年前のiPhone登場後、劇的に変わった。「揺り戻し」の勢いが増している今こそ我々は一度、立ち止まってこの10年を振り返り、次の10年に向けての軌道修正をかけるべきなのかもしれない。

夕陽に集う人々
News

六本木ヒルズの屋上、スカイデッキ。ここはおそらくら東京で一番きれいな夕陽が楽しめる場所。天気がいい日になるとiPhoneのSiriに「今日の日没は?」と時刻を聞き、その30分くらい前の到達を目指してやってくる。
1年ほど前までは、広い屋上をたった7-8人で占拠、ということも多かったけど、最近、急に人が増えてきた。しかも、どこかの海外のサイトで紹介されたのだろう。ほとんどは海外からの旅行客だ。
陽がだんだんと落ちていくにつれて皆、言葉が少なくなってたまにシャッター音だけが響く状態に。そして夕陽が雲や地平線に沈む瞬間にはいつもちょっとだけ歓声があがる。
晴れてる日は毎日繰り返される光景だけれど一日として同じ夕陽はない。
それがなんか好きで、私も結構、頻繁に来ているが、今日たまたま目の前に知り合いが座っているのを発見。実は彼もここが好きで多い時は2日に1回のペースで来ている、と聞いて驚いた(でも、私も週に3回ということあったので、同じようなものか)。
東京の喧騒の中で、もっとも壮大で静かなショーが楽しめる素敵な場所なんだけれど、残念ながら今はスターウォーズ展の関係で夕陽が沈んだ直後、余韻を楽しむまもなく けたたましい大音響でスターウォーズの音楽が流れる。
せっかくのステキさを台無しにされたくなければ、陽が沈んだら、すぐさま森美術館の「シンプルなかたち展」に逃げ込むのがオススメ!
特に 一気に大巻伸嗣の作品「リミナル エアー スペースタイム」まで行けば、夕陽に負けないステキな気分に酔い続けることができる。

がら空きのGWを愉しむ
News

せっかくのゴールデンウィーク。
なのに旅行の計画は立て損ねてずっと東京。
混んでるとこへ出かけて人混みだけ見て帰ってくるのはちょっと嫌。
だけど、どうせなら非日常感じられるステキな場所に行きたい…
そんな、わがままが通るのかと思いつつも、勘に任せて出掛けたら、勘が冴えまくっていたのか、訪問先3箇所すべてがらがらとは言わないまでも、少なくとも何をするにも行列は無し、人混みは無しで快適!(3カ所とも、できたばかり、リニューアルしたばかりの話題のスポットなのに!)

何か派手な達成感あるアトラクション目指してる人には向かないけど、休日、ゆったりとステキな時間を過ごしたい人には、電車でちょっと行きにくい場所、ビジネス街周辺はGWの狙い目かも!
最近、車の人減ったのか道路も空いてるので車での移動がオススメ!(ついでに、飲まないけど運転できる人と一緒ならなお良し ;-) )

天王洲アイル TY HARBOR

天王洲アイル TY HARBOR

天王洲アイル SLOW HOUSE

虎ノ門ヒルズ前のカフェ

虎ノ門ヒルズ

虎ノ門ヒルズ

Andaz hotel, 虎ノ門ヒルズ

COREDO室町

COREDO室町

マンダリンオリエンタル

「蔦屋家電」は新しい販売スタイルを確立できるか?
News

蔦屋家電の入り口

今日、二子玉川駅直結のライズショッピングセンターに「蔦屋家電」がオープンした。「生活提案業」を標榜するTSUTAYAによる新業態ストアだ。
 家電製品の購入場所といえば、いつの間にか「家電量販店」が幅を利かせてしまった今日この頃。質よりも価格と取り扱い製品の量、在庫の量で勝負をし、色気のない蛍光灯の下で各社の類似製品が横並びに陳列され、その上にドギツイ赤や青の文字で「安売り!!」や「ポイント還元!!」といった札が貼られた展示、隙間無くビッチリと商品が詰め込まれた棚では色気のある家電製品は生き残ることができない。結果、日本の家電メーカーでは、そうした場所でも売れる商品ばかりを手がけるようになり、消費者も家電を機能と価格だけで選ぶ人が増えてしまった。
 これが「量販店」流だとしたら「蔦屋家電」が作ろうとしているのは「質販店」の文化だと感じた。

蔦屋家電2階のイベントスペース

茶プレッソと一緒に並べられているのは八女茶のボトルと鉄瓶そしてお茶の本

GOOD MEAL SHOPにはステキなクラフトビールのセレクションが

 例えば調理関係のイベントが行われる2階のイベントスペースの目の前の通路には、国内外の調理関係の本が並べられている。そこから通路の反対側に渡ると、右側にはクラフトビールのセレクションが充実した「GOOD MEAL SHOP二子玉川店」。ここのビールを買ってイベントに参加することも可能だそうだ。一方、左側には調理家電のコーナーがあり、「茶プレッソ」のマシンの周りには、一瞬、「これワイン?」と間違えるような八女のボトル入り茶などが売られている。
 二子玉川の蔦屋家電は、代官山Tサイトと同じ2フロア構成で、床面積は代官山3棟をひとまわり上回るサイズ。2階にはきれいに円弧を描いた全長100mの広々とした通路があり、そこを歩いて行くと、最初はインテリア街にいたと思ったら、いつの間にか食の街に変わっていたり、美容と健康の街、安眠やリラックス、お掃除の街へと景色が変わっていく。
 そしてそれぞれの街には、それに関連する家電と本そして装飾のオブジェが飾られていて、実は街と街の境目もつなぎめがどこなのかわからないようにうまくつなげられている。
 この店のデザインで、TSUTAYAがこだわったことの1つが「シームレス」なのだそうだ。
 気になっていた美容家電を見ている時に、気になる美容本を見つけて、そこから美容食の魅力に気づいて、食べ物を買って帰る、みたいなセレンディピティがいっぱい起きそうなデザインになっている。
 冒頭で家電量販店の展示の仕方の問題を指摘したが、それ以外にもう1つある。これは量販店だけでなく、雑誌媒体などのメディアもそうなのだが、日本のお店やメディアは、何か商品を陳列する時に必ず「〜〜〜系」と言ったレッテルを貼りたがる。
 私もまだ雑誌でレビュー記事を書いていた時は「いや、これは、これまでにないジャンルの新製品で、下手にそのレッテルを貼ってしまうと、新たに提案しようとしているスタイルに読者が気づかない。製品利用イメージを固定化してしまうのでよくないんじゃないか」と言っても、やはり、メディアはどうしても昔からの慣習で「伝わりやすさ」優先でレッテルを貼りたがる。実際には「イノベーション」の本来の意味は「新結合」、イノベーティブな商品というのは、本来、どこにもカテゴライズされないのが当たり前、であるにも関わらずだ。
 しかし、「蔦屋家電」の「シームレス」な売り方なら、こうした商品が自然に「居場所」を見つけることができる。
 実は、これまでのレッテル展示のせいで、世の中に存在を知られにくかった商品も結構あると思う。例えば「ロボット掃除機があるなら、ロボット芝刈り機もあればいいのに」と思っていたことがあるが、蔦屋家電では普通にグリーン(観葉植物のコーナーの近くに)飾られていた。
 音楽CDからiPhoneに直接音楽を取り込めればいいのに、と思っていたこともあるが、そうした商品も既にあって、1階のスマートフォン関連のコーナーと音楽コーナーの間くらいに展示されていた(ちなみにIOデーター製の製品だが、それとは別に蔦屋家電オリジナル商品として、しっかりとかっこいい見た目の「 T Air」という商品が6月から発売されるようだ)。
 もちろん、買うものが既に決まっていてそれを探す、というのであれば従来の「家電量販店」の方が見つけやすだろうし、さらにいえばAmazonなどのECサイトの方が見つけやすいだろう。

蔦屋家電オリジナル商品のT Air。iPhoneに音楽CDを直接取り込める。同様の製品は既に他者から出ていたが、シンプルモダンなデザインがステキ

グリーン売り場の近くには芝刈りロボット

 「蔦屋家電」の価値は、むしろ、あの魅力的な空間で迷子になるくらいに散策して、新しい出会いを生み出すことにこそあるんじゃないかと思う(だからこそ、歩いていてワクワクするし、それまで興味がなかったジャンルへの興味も創出されるのだ)。
 デジタルライフスタイル時代のショップということで、スマートフォンやパソコン、デジタルカメラなども売っているのだが、その品揃えも面白く、取り扱っているスマートフォンはiPhoneだけ。パソコンは、一応、Macも含め数機種を置いているが、一番、広く面積を取って飾られているのはSurface Pro 3。デジタルカメラも、全部の種類を抜けなく揃えるのではなく、あえて特徴のある機種をセレクトしてきれいに飾っている。自転車の販売も、なんと電動機付き自転車だけに絞っている(二子玉川のある世田谷区は坂が多いから)。
 「お、これなんだろう?」と思わせる楽しさと、細かくスペックシートを見比べる作業を億劫に感じる人は、TSUTAYAのコンシェルジュのセレクションを信じ他の商品を知らなくても「とりあえず、これを買っておけば間違いない」という安心感を持って商品を買うことができる。

良いデザインの製品はショーケースに入れて展示

他ではあまり見かけない面白い商品がいっぱい。実は海外のクラウドファンディングで生み出された商品なども多いのだという。

 ちなみにオープン前内覧会の説明で5分近くを、お店のスタッフ紹介に費やしたほど、人選にはこだわっているようで、セレクトショップや家電量販店の有能なスタッフをかなり引き抜いた模様。スマートフォンコーナーに行くと、スマートフォン界隈ではそれなりの有名人が数名普通に店員として働いていてビックリさせられた。
 他にも修理カウンターの目の前がスターバックスとファミマで、ゆったりとしたラウンジでスマホを充電しながら、修理が終わるのを待てたりと、これまでになかった工夫がいっぱい。
 「蔦屋家電」の提案、消費者にも伝わって欲しいが、ぜひ、他の家電販売店にも広がっていって欲しいと思う。

時を忘れて没入できる石田尚志展「渦巻く光」
News

"Billowing Light: Ishida Takakashi" Yokohama Museum of Art

www.youtube.com

 じっくりと作品を観察して作家がどんな技を使ったのか、どんなことを考えていたのかを考える美術展もいいけれど、気がつくと意識が作品の中へと飛んでいて、無意識がすべてになっているーーそんな美術展が好きだ。入った瞬間に非日常の別世界、別次元へと連れ込まれて、無意識なまま放浪している感じ。どうも私がそういう感覚に陥るのは時間を扱った作品が多いみたい。描くプロセスそのものをストップモーションで映像化した作品が多い(それでいてリズミカルな)石田尚志さんの初の大規模回顧展は、まさにそうした異次元への旅をさせてくれた久々の美術展。気がつくと無意識が自分のすべてになっていて放心状態、半瞑想で30点ほどの作品で構成された4つの世界を2〜3巡は回っていた。
 作品作りはじめて30年になる石田さんだが、本展ではその作品を時系列に並べるのではなく、彼の作品がよく扱ってきた4つのテーマ「絵巻」、「音楽」、「身体」、「部屋と窓」の4章で構成されていて、それぞれの世界の中で30年の活動を一気に振り返ることで彼が、ここれら4テーマを継続的に扱ってきたことを見せている。
  美術館のエントランスには石田さんが横浜美術館で4ヶ月間にわたって滞在製作した作品「海の壁ー生成する庭」が飾られている。本作は昨年から横浜美術館の推薦作品としてシンガポールで展示をされ海外のメディアからも高い評価を受けた。
その作品がシンガポールから海を渡って横浜港からこの美術館に戻り、本展覧会の後は沖縄に巡回をする、と言う。沖縄は石田さんがアーティストになる決意をし高校を中退した後に渡った土地で、本作が横浜で誕生し、シンガポールで脚光を浴び、再び横浜から那覇港を通して自らの出発地点へと旅立つことへの感慨を語っていた。
 

Google Impact Challenge、日本から世界を変える10の団体が最終プレゼンテーション
News

Google Impact Challenge Japan, Final Presentation

youtu.be

世界を変えるスピードをはやくするGoogle Impact Challengeの
最終プレゼンテーションと選考会の様子です。

昨日、丸ビルでGoogle Impact Challengeファイナリスト10組による最終の1分プレゼンテーションと審査の結果発表がありました。それがあまりにも素晴らしく、取材しながらうるうるしてしまう場面もいくつか。これはシェアしないわけにはいかないとビデオを編集しました。
どの団体も我々が注視すべき非常に重要な課題を取り上げているので、それを知るだけでも価値があると思います。

ファイナリストの1分間のプレゼンの後、実際には質疑応答が有り、10団体とも非常に入念な調査と、長期にわたる活動実績があることがわかる(例えばホームレスの人の8割は警備関連の仕事を経験している、といった)やりとりがありました(が、全部ビデオ化すると2時間を超えるのでダイジェストでお届けします)
Google Impact Challengeの公式ページはこちらです:
https://impactchallenge.withgoogle.com/japan

3Dプリンター/ものづくり系の人必見!PLAYFUL展は日曜まで!
News

PLAYFUL

youtu.be

東京大学駒場キャンパス2にある生産技術研究所、山中俊治さんの研究室によるプロトタイプ展がスタートしました。開催期間は29日(日曜日)まで。これ、3Dプリンターなどを使った新時代のものづくりを始めている企業の方々、個人の方々、必見です。
パナソニックの研究者の方がしばらく山中研究室に滞在してつくった質感ややわらかさの異なる立方体や、ナイロン素材を3Dプリンティングしてつくった折り畳める(ソガメ折り)一体造形物など、見所、満載です! 木曜日にはイベントもあります。詳しくはこちら:

http://www.design-lab.iis.u-tokyo.ac.jp/exhibition/proto2015/

正式発表のApple Watch試着動画、各種設定も簡単そうです! #AppleWatch
News

昨年、9月9日につづいて、Apple Watch、2度目の試着を行ってきました。
今回は画面も日本語。
せっかくなので、いろいろなグランスの切り替えや設定変更なども試してきました。

なんとも直感的操作でよくまとまっています。

早くMy Apple Watchをつけるのが今から楽しみ!

Apple Watchはいよいよ今晩、深夜に正式発表
News

Apple Watchがいよいよ今晩、正式発表となります。

本日、正式発表前に、もう1度、Apple Watchがどういう製品かをおさらいできる記事が日経ビジネスとITmediaに掲載予定です。
それらの記事中で使う動画をこちらに用意しました。
AUGMなどの講演では既にお見せしていた動画ですが、今回、改めて字幕を付けてみました!

1,220 by Rhizomatiks @ Intersect、2/20まで…
News MAT

Media Ambition Tokyoで、昨年、もっとも注目を集めた展示で来場者をうならせたRhizomatkis x LEXUSが、今年も手を組んで新作のプロジェクションマッピングを披露中。
展示場所は青山Yoku Moku前のIntersect by LEXUS。
これは必見の展示。
貸し出ししてくれるヘッドホンなしだと音がないので、イマイチ迫力が伝わらないかもしれないけれどこんな感じです!

#MAT, media ambition Tokyo

*REVOLVER dino network ログイン | 新規登録